小室哲哉のヒットを作る法則を分析
小室哲哉といえば、世間一般的には音楽プロデューサー・ミュージシャン・作詞家・作曲家と見られているが、自らが関わった音楽をヒットさせるという意味では、ビジネスマン的・マーケッター的な思考や視点が非常に優れていると言える。
このサイトでは、そんな小室哲哉のヒットを作るために必要な思考や視点に焦点を当てていきたいと思う。
90年代、なぜ小室哲哉が関わった曲はあれほど売れたのか?その背景にはどんな思考や視点があったのか?
といっても、小室哲哉の音楽人生は最初はそれほど順調ではなかった。1984年にTM METWORKでデビューし、ヒット曲が出たのが87年だ。つまり3年間は泣かず飛ばずの状態が続いていたということだ。
だからこそ、色々と模索して、仮説検証を繰り返し、実践に次ぐ実践を繰り返した音楽家であり音楽プロデューサーだと言える。
小室哲哉は書籍「プロデューサーは次を作る ビジネス成功22の方程式」(1998年発行)の中で次のように語っている。
数年前まで、だいたい秋には翌年のヒット曲というのが見えていました。そのため、年末までに翌年の1、2、3月までの新譜はほとんど上がっていたんです。ヒットしそうな曲には確実はCMタイアップがついていて、「来年はこれでカウントできるな」という確信がありました。いまはそういうことはありません。
秋には翌年のヒット曲が見えた。これは、誰もが言える言葉でなはない。消費者の欲求や時代の流れに常に敏感になり、世の中を大きく捉えることができた小室哲哉だからこそできた予測だ。
しかし、1998年には予測しずらくなっていると言っている。
その理由は、「ハードの進化にソフトが追いつかない」「ハイパーな目や耳を自然と身につけた益を満足させるソフトを、つくり手がなかなか生み出せなくなっている」ことが原因だと語っている。